劇団四季『アナと雪の女王』を見た

私が一番好きなMCU作品に、ロバート・ダウニーJr.とスカーレット・ヨハンソンが出演している『シェフ』ってのがあるんですけど、その中で舞台となるレストランに批評家が来訪するのに合わせ、シェフのカール(ジョン・ファブロー)が独創的なメニューを作ろうと奮闘する直前、レストランのオーナー(ダスティン・ホフマン)がそれを止めさせ、いつものメニューをやれと言うんですね。

いわく、

「もしストーンズのライブで『サティスファクション』を聴けなかったらどう思う?ガッカリするだろ?客は怒りまくるぞ」

映画の文脈的には保守的なオーナー像を見せつけるセリフなんですが、これ、大人になっていくとオーナーの言いたいことも分かるわけですよ。

で、もし自分がディズニー・シアトリカルグループのオーナー的立ち位置であるトーマス・シューマッカーだとして、アナ雪制作陣が「全く新しいアナ雪を舞台でやりたいんです!」みたいなことをいいだしたら(多分言ってないです)、それをどう止めるか大変だよなあ、と思うわけですよ。あのアナ雪ですよ。むしろレリゴー。あのレリゴー。

かくして、満を持してスタートしたブロードウェイ版『Frozen』は、サントラ聞く限りほとんど大きな筋書きは変えず、あの映画を見事“ライブ”で行うという偉業を達成しました。そしてCOVID-19の影響を受けつつも、順当に劇団四季が日本版の『アナと雪の女王』を上演開始しています。

チケット販売初日、たまたま一人席が空いていたのでわりと早めの2021年6月30日昼回を見てきました。結論から言うと、何も変えてないけどまるっきり変わった、日本版の『アナと雪の女王』完全版が完成したと考えています。もちろん、日本版のアナと雪の女王を『レリゴー』と読み替えていただいてかまいません。

誰もが筋書きを知る前提で、舞台をどう見せるのか

さて、これまでもディズニー・シアトリカルグループは『アラジン』『リトルマーメイド』『ノートルダムの鐘』をはじめとする作品を、劇団四季とともに上演しています(あまりに独創的なのであえて『ライオンキング』は今回触れない)。これら作品は元になっているアニメーション長編がだいたい90分くらいで、舞台版だと2幕構成で時間の余裕があり、踏み込んだ表現を行うことになります。この点に関してはだいたいが各キャラクターの深掘りに費やされることが多いのですが、ノートルダムの鐘のようにもはやぜんぜん別作品レベルに仕上げてくる場合もあります。自分はノートルダムの鐘の思い切りの良さはむっちゃくちゃ評価してます。初見時にまじか、と思った。

で、今回の『アナと雪の女王』。これに関してはもはや国民的な作品となってしまい、ディズニーに興味がない人でも筋書きを知っているお話しです。まさかこのストーリーに関して、いまの時点で「ネタばれやめて!」という人はいないでしょう。これはネタばれじゃないんですけどレリゴーがすごい。とにかくすごいわけですよ。

ですので、世界が期待する作品であるアナと雪の女王舞台版は、もはや“サティスファクション”であり、何一つ変えないことが期待されるわけです。正確に言うと“みんながアナ雪をアナ雪と思っているところは何一つ変えてはならない”という、厳密なルールが期待されるわけです。

この点に関していえば、舞台版アナと雪の女王は100点満点です。ストーリーを全く変えることなく——観る人がアナ雪のストーリーだと思っている点は一切変えることなく——アナ雪を作り出しました。この点に関しては、まったく心配はいりません。

アナ雪がアナ雪であるべきシーンってなに?と思うかもしれません。私にとっては、例えばエルサとアナの立ち位置が一瞬で変化してしまう、エルサがボールルームで思わず魔力を発動させてしまうシーン。例えばアナが身を挺してエルサを守り、自らは氷になってしまうシーン。こういった重要シーンに関しては一切手を加えず、リアルな舞台でそれを現実のものにしてしまいました。これだけでもう満点なんですよ。アナ雪という山をティーカップに入れるため、その山のなかからダイヤモンドの原石だけ取り出して盛る。それができているんです。

そして、大きな問題は……もうお分かりですね。レリゴーですよ。レリゴー。

レリゴーの完成度で、すべてが決まってしまう——その宿命をどう処理するか

すべてはレリゴー。これはアナと雪の女王のストーリーの完成度とは全く別の場所にある、アナ雪そのものの命題です。これに関しても、制作陣は変化球じゃなく直球で攻めてきます。そしてそれが完全に、バッチリと、何一つ間違いなくドストライクを決めてきました。ひっさしぶりですよ、劇中に体が文字通り震えたのは。完ぺきです。3兆点です。

レリゴーに関しては、上記でいうところの絶対に外してはならないシーンがむちゃくちゃたくさんあります。これに関しては、下記の動画がそれをよく表しています。子どもたちがレリゴーをうたう、さまざまな動画をまとめたもの。

百聞は一見にしかず。子どもたちはレリゴーを一番よく理解しています。手袋を外し、マントを投げすて、足を踏み出し、ティアラを捨てる。こういった一連の重要シーンを、いかに“舞台で”再現するかという命題に、舞台版レリゴーは真っ正面から、1つも逃げずにやりきるんですよ。これには本当に脱帽しました。レリゴーに思い入れがある人ならば、このシーンは恐ろしさすら感じるでしょう。もはやディズニーマニアのDNAにはレリゴーに対する恐怖が書き込まれてしまいました。ロペスの野郎。

そして、日本だけが理解<ワカ>る真剣驚愕<マジパネェ>、“訳詞”

あまりに衝撃的なので忍者と極道が混ざりました。心底有難<マジアザ>っす。

今回、さらに驚くのは、あのレリゴーの訳詞に手が加えられている点にあります。あのレリゴーをですよ。あの!レリゴーの!歌詞を!変えて!いるんですよ!!

とはいえ、その訳詞を手掛けたのは、まさにあのレリゴーの訳詞を作り上げた、高橋知伽江氏その人です。あえてあの国民曲の、自分が手掛けた訳詞を変更している点こそが、この舞台版、劇団四季による『アナと雪の女王』が本作の最終形であることを物語っています。変更の狙いなどは会場で販売しているプログラムにてインタビューが掲載されています。ぜひ、そちらもしっかりとご参照ください。それを読むと、映画版アナ雪、特にレリゴーの訳詞に関して意味が消失した件に関して、最終的な回答が本作なのかもしれない、と思うことができるでしょう。

特にこれに関していえば、(終わってしまった)ブロードウェイ版ではなく、劇団四季でしか表現できない部分であり、まさにここでは劇団四季、そして高橋知伽江氏が意志を持って明確に手を加えた部分とも言えます。つまり、サティスファクションを演奏しながら、むちゃくちゃ新しい部分を入れ込んだわけです。3兆点。これだけでも本作を観る価値はある。自らが作り上げた呪いを、自ら壊しにいく高橋氏に乾杯です。すごいよこれ。

そして、舞台版は新たな曲も多数追加されています。そして劇団四季版は極々短い期間しか上演されなかったアップデートバージョン(新曲I Can’t Lose YouがFor the First Time in Forever (Reprise)の代わりに追加されている)をもとにした、最新の作品になっています。これに関しては下記記事がむちゃくちゃ詳しく書いてます。知らなかったことが多すぎる。

LINK: 劇団四季版『アナと雪の女王』が「アルティメット版」であるワケ(前編) 〜Broadway版に22回通ったヲタが語るその魅力〜 – westergaard 作品分析

ともあれですね。まだはじまったばかりの劇団四季版『アナと雪の女王』。いまはかなり先のチケットも出ていますが、お近くの方はできる限り、しっかりとチケットを取っておいてください。そしてレリゴーで、あの聞き飽きたレリゴーで体が震えるという経験をしてみてください。さらに、『アナ雪どの曲で締めるか問題』を、舞台版はどう処理していたかを体験してみてください。これに関しても100万点ですよ。そう、それがそこで聞きたかった。お勧めです。

LINK: ミュージカル『アナと雪の女王』作品紹介 | 劇団四季【公式サイト】

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