Gertie : 『生命を吹き込む魔法』(1)-9人の魔法使い-

Gertieコラム★『生命を吹き込む魔法』(1)-9人の魔法使い-魔法使いの一人が、天に上る時がきた。naginosuke氏によっても伝えられたようにウォード・キンボール氏が、2002月7月8日に他界された。彼は1950年から25年以上もの長きにわたり、「アニメーション幹部会」の一人であり、ウォルトが諧謔と尊敬の念をこめて名付けた、いわゆる「ナイン・オールド・メン(古株たち)」でありつづけた。そのメンバーとは、レス・クラーク、ウーリー・ライザーマン、エリック・ラーソン、ウォード・キンボール、ミルト・カール、ジョン・ラウンズベリー、マーク・デイヴィス、フランク・トーマス、そしてオーリー・ジョンストンという生命を吹き込むことのできる9人の魔法使いたちだった。

 今回は『The Illusion of Life』の第八章をもとにしながら、ディズニースタイルを確立させた9人の肖像をデッサンしてみたい。バーバンクの新しいスタジオに引っ越してきたアニメーターたち。『眠れる森の美女』の制作が大きな転機になった頃だ。スーパーバイジングアニメーターとして、アニメーション部の管理を補佐する「幹部会(ボード)」が1940年に設立され、1950年には上記の9人のメンバーに固定された。みな30代であったが、彼らはアニメーターたちの管理だけでなく、どんな作品をつくるのか、物語やキャラクターデザイン、音楽にまで大きな影響力をもっていた。

 9人の魔法使いが最初におこなったのは、アニメートの大変革だった。通常長編が制作される場合、一つのキャラクターにはひとりのアニメーターがついて、キャラクター同士の動きには関係なく、最後まで一つの個性を描ききる。しかしこの方法によると、主役だけの動きが最初に決定して、ほかのキャラクターは、その動きに従属するような形になるのだ。魔法使いたちは、すべてのキャラクターに等しい生命を吹き込むことにした。それはキャラクターごとに担当アニメーターをわけるのではなく、一つのシーンに登場するキャラクターはすべて一人のアニメーターがシーンの最後まで描けるようにしたのだ。
 
 たとえばバンビがタンパーと氷上で遊ぶシークエンスは、オールド・メンの一人であるマーク・デイヴィスによって魔法がかけられた美しいシーンだ。バンビとタンパーはそれぞれが均等に生命のきらめきをみせて、キラキラとくだけた氷の舞い踊る中を、すべりまわるのだ。マーク・デイヴィスは一言でいうと偉大なる語り部であるといえる。クレジットからは抜け落ちてしまっていたが、『バンビ』でフラワーの恋のシーンを語り、マレフィセントやクルエラを担当したときも、かならず他のキャラクターたちとの間に、物語をつくりだした。晩年はWEDに移り、ディズニーランドのショーやアトラクションづくりに才能を発揮したのも、なるほど彼が語り部であったからだといえるかもしれない。

 逆に物静かだが、確実にウォルトのイメージをつかみ、日々の鍛錬をおこたらなかったのが、レス・クラークだ。初めて雇われたときには、「臨時」の雇いであることをウォルトに断言されたのに、それが48年間も続いてしまうことになろうとは。彼がもっとも得意だったのはミニーマウスである。また『魔法使いの弟子』のデザインも彼によるものだ。後年はTVの特別番組や教育用の番組を担当した。その職人的な洗練は、多くの仲間に信頼を得ていた。

 ウーリー・ライザーマンは9人の中でグランピーのような人であったといえよう。何しろ荒々しい怒りを表現する名人で、ファンタジアでは恐竜を、ピノキオでは大きな口をあけて呑みこむ鯨を担当したのだ。なにごとにも屈せず、溢れるようなパワーがあった。しかしその屈強な態度の裏側には、まさにグランピーのような純粋な愛情にあふれていた。彼がアニメートしたグーフィによって、いままでのキャラクターにはないような魅力が加えられることになった。

 静かに深く物事を考え、理性的で着実に仕事をしてきたのはエリック・ラーソンである。オールドメンたちの白熱した話し合いでも彼は、物静かで説得力のある言葉でみなを落ち着かせた。高齢になっても驚くべき仕事量をこなし、若いスタッフたちとの共感をうしなうことがなかった。パントマイムからうまれたフィガロの愉快な動きを発明し、『ファンタジア』ではペガサスの優雅さをつくりだした。

 ミルト・カールは微細な世界を描きわけることのできる個性的な人物であった。その微妙な違いを人目でわからせるだけの才気が、人間になったピノキオのシークエンスでは十分あふれている。実写の資料を一切使わず、頭に描くものを、そのまま描くことができたという。『王様の剣』のエクターやケイのキャラクターデザインも、そうした彼の魔法によってなしうることのできた人物像だ。引退作品は『ビアンカの大冒険』。メデューサ夫人が化粧をおとしながら、子供をいじめる思案をする、心理学者のような分析的なシーンである。声優の声の質にあわせて、つけまつげの演技を細やかに加えるなど、おそるべき観察眼であるといえよう。

 フランク・トーマスはアニメーションの物理学者であった。あらゆるシークエンスの動きを分解し、どんな複雑な動きも、ひとつひとつ抽出してみせた。アニメーションの表現として有名なキャラクターの潰しと伸ばしの運動も、彼による発明の一つであった。その完璧主義は、気難しいイメージをあたえもしたが、生涯絵が動くという魔法を情熱的に追求していった一つの姿勢であるともいえる。ピアニストでもある彼は、音楽にもこだわりをみせ、レイアウト、背景、ストーリー構成から台詞まで、総合的なアイデアを作り出すことのできる人物であった。

 オーリー・ジョンストンはキャラクター造形の才をいかんなく発揮した。物語よりも、一つのパーソナリティがまずキャラクターにあたえられ、演じる前の俳優のように独立させてしまうのだ。彼が作り出した『ピーターパン』のミスター・スミーは、そんなふうに、ストーリーに先立って、個性が明確に表現される。物語全体をキャラクターの存在感が刺激する格好の例である。ここでは主役の存在感さえ凌駕してしまうほどの、生命が生み出されているのだ。

 『ファンタジア』、時の踊りの鰐、ベン・アリゲーターを作り出したのは、ジョニー・ラウンズベリーである。協調性にとみ、アニメーターたちの関係から、明解なキャラクターを創造していった。打開することが困難な状況でも、仲間を笑わせ、そうした関係性の中から、愛すべき創造物を産み落としていったのだ。

 そして最後にウォード・キンボール。フォーラムでも書いたのだが、彼にはいたずらっ子の精神が溢れていた。古株9人衆の中では、とびきり革新的でユーモラスな人物であった。『ピーターパン』の制作時には、アニメーター仲間に似せた6種類のフック船長を描いたりして仲間をからかった。ジミニーのパーソナリティー・アニメーションで有名な彼は、『三人の騎士』では当時として画期的なミュージカル的シークエンスの4分間を発案制作している。

 こうして9人の魔法使いは、それぞれの個性によって多彩な才能の光をウォルトという一つの名前に結晶化させ、生命を吹き込む魔法を、「ディズニーアニメ」に降りそそがせたのだ。